2010年6月17日

タスマニア州のフクロオオカミ

 フクロオオカミは、オーストラリアの島タスマニア産の動物であった。タスマニアン・オオカミとかタスマニアン・タイガーと呼ばれたが、いずれも正しくはない。フクロオオカミは、有袋類動物である。
 残念なことに、人間の手によってフクロオオカミは絶滅した。国宝的な羊にとってフクロオオカミは、脅威として見られ、銃で撃たれたからである。そして、一九三六年で最後のフクロオオカミが死んでしまった。
 フクロオオカミの白黒写真や骨格やアルコール漬けにされた子供、観察のリポートなどから彼らは、どんな動物かわかるようになっている。
 フクロオオカミは大きくて、短い毛の犬に似ていた。また、カンガルーのように硬い尻尾があった。黄色がかった茶色の毛で約十七個の縞模様があったので、タスマニア・タイガーと呼ばれた。大人の横幅は、百から百三十センチ、肩までの高さは約六十センチだった。
 有袋類の動物として、メスのフクロオオカミには袋があったが、ほかの有袋類の動物と違って、袋は後ろから入る。あごも変わっていて、百二十度まで開けられる。

 二千年前、オーストラリアの本土でフクロオオカミはアボリジニと在来種犬のディンゴと食べ物を争っていて、絶滅寸前になった。カカデュ国立公園の洞窟画で『 フクロオオカミはアボリジニに狩られたと』はっきり描かれている。
 その後、ヨーロッパからの開拓移民によって、フクロオオカミは絶滅した。しかし、彼らは、タスマニア州の北のところに少し残っていた。
 一八〇〇年代、タスマニア州でフクロオオカミを見るのは珍しくなったが、羊を襲っているのを見られたため、フクロオオカミは狙われることになった。ヴァン・ディモン会社のつけられた懸賞は、フクロオオカミを一匹殺したら一ポンドであった。
 フクロオオカミの絶滅は、人間に狩されたせいであったが、ほかの一因もあった。
 例えば、開拓移民が輸入した犬と食べ物を争ったり、獲物が絶滅したり、生息地が破壊されたりしたことであった。
 羊の敵として見られたが、一九二〇年代にフクロオオカミを助ける人が現れた。一九二八年、タスマニア動植物の保護員会はフクロオオカミのために、保護地を作ろうと決めた。一九三〇年、北西のタスマニアで、ある農夫は最後の野生フクロオオカミを撃った。
 ホバート市動物園に一匹のフクロオオカミが残ったが、一九三六年七月十日、そのフクロオオカミが亡くなった。亡くなるその五十九日前、政府はやっとフクロオオカミに保護する法律を定めたばかりだった。
 森林保護官が何回も捜索して、後足とふんを見つけたが、一匹も姿は見えなかった。
 今日まで、多くの人はフクロオオカミを見たと主張した。しかし、全て話だけで証明するための証拠はなかった。
 一九八三年、アメリカの有名な権力者テッド・ターナーはフクロオオカミがまだいると明らかにした人に二十万ドルの懸賞金をかけた。今日まで、誰も確実な証拠をつかんでいない。